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鹿児島地方裁判所 昭和46年(ワ)218号 判決

原告 松鶴政盛

〈ほか一八名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 保澤末良

同 堂園茂徳

同 小堀清直

同 亀田徳一郎

右亀田徳一郎訴訟復代理人弁護士 井之脇寿一

被告 日本国有鉄道

右代表者総裁 高木文雄

右訴訟代理人弁護士 和田久

右指定代理人 国光幸一

〈ほか一名〉

被告 鹿児島県

右代表者知事 鎌田要人

右訴訟代理人弁護士 松村仲之助

右指定代理人 福元哲夫

〈ほか二名〉

被告 瀬崎運送有限会社

右代表者代表取締役 瀬崎幸一

主文

一  被告らは連帯して、

1  原告松鶴政盛に対し、金二三二万一、八〇四円

2  同松鶴和光に対し、金七三万四、八〇一円

3  同松鶴光広に対し、金二三万四、八〇一円

4  同久木田富枝に対し、金二三万四、八〇一円

5  同松鶴博に対し、金二三万四、八〇一円

6  同松鶴政司に対し、金二三万四、八〇一円

7  同松鶴政幸に対し、金二三万四、八〇一円

8  同松鶴キヌ子に対し、金一二八万一、八〇一円

9  同山下巌に対し、金五万六、〇八三円

10  同海田幸子に対し、金七、〇〇〇円

11  同中山陽子に対し、金八万一、四六二円

12  同中山なぎさに対し、金八、〇八〇円

13  同中山陽治郎に対し、金一万七、〇〇〇円

14  同石原正雄に対し、金五八万九、四〇〇円

15  同北里幸代に対し、金三〇六万一、〇四七円

16  同北里美幸に対し、金四一五万九、〇五一円

17  同北里敦弘に対し、金四一五万九、〇五一円

18  同北里留に対し、金五〇万円

19  同北里ハツミに対し、金五〇万円

および右各金員に対する昭和四五年一一月二四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの負担、その余を被告らの連帯負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは各自、原告らに対し、別紙第一目録記載の各原告の請求金額および右各金員に対する昭和四五年一一月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。との判決。

第二原告らの請求原因

一  事故の発生

1  訴外日高靖夫(以下「日高」という。)は昭和四五年一一月二四日午前一〇時二五分ころ、大型貨物自動車(ダンプカー、以下「本件自動車」という。)を運転して、時速約四〇キロメートルで国道一〇号線を鹿児島市稲荷町から同市内の磯公園方面に向かって進行中、同町二四番二五号先付近の同国道と県道吉野公園線(以下「県道」という。)がY字型に交わる交差点にさしかかり、県道に進入しようとした際、同交差点付近の県道を自車と同一方向に進行中の先行自動車の右側を通って、同車を追越そうとしたところ、本件自動車の右前車輪を県道の右側側溝に落ち込ませ、そのまま側溝内を約二〇メートルにわたり走行したのち、県道から約七メートル下を通っている日豊本線の軌道上に本件自動車を転落させた。

2  そこへ折りから国鉄竜ヶ水駅方面から走行してきた山本義久(以下「山本」という。)の運転する国鉄宮崎駅発山川駅行きの五両連結の急行列車錦江一号(以下「本件列車」という。)の右前部が本件自動車に衝突して、本件列車の一両目は脱線横転し、二両目は脱線した(以下「本件事故」という。)。

3  本件事故のため、本件列車の乗客であった別紙第二目録記載の北里留一ら九名が、それぞれ同目録「本件事故当時の受傷状況」欄記載の傷害を受け、右北里留一は即死し、右同人ら九名以外にも乗客一名が死亡、二六名が傷害を負った。

二  被告日本国有鉄道(以下「被告国鉄」という。)の責任

1  商法五九〇条に基づく責任

(一) 被告国鉄は物品・旅客の運送を業とするものであるが、本件事故当日、別紙第二目録記載の北里留一ら九名と旅客運送契約を締結し、その運送中に本件事故により、前記のとおり、右九名に傷害を負わせ、北里留一を死亡させた。

(二) よって、被告国鉄は商法五九〇条により本件事故によって右九名の者が受けた損害を賠償する義務がある。

2  国家賠償法(以下「国賠法」という。)二条一項または民法七一七条に基づく責任

(一) 被告国鉄は、機関車、貨客車、軌道設備、軌道の敷地、その他これらに関連する一切の施設の占有者でありかつ所有者であるが、軌道上を走行する機関車、貨客車によって貨客を運送することを目的とする鉄道施設の特質上、機関車、貨客車を含めた軌道設備、保安設備などの一切の鉄道施設が一体のものとして国賠法二条一項の公の営造物または民法七一七条の土地の工作物に該当するもので、右施設の管理者であるところ、本件事故は、次の(二)、(三)のような鉄道施設の設置、保存の瑕疵がその一因となって発生したもので、被告国鉄は国賠法二条一項または民法七一七条により本件事故に基づく損害を賠償する義務がある。

(二) すなわち、被告国鉄は、近年経営の合理化の名のもとに、車両を軽量化することによって列車のスピードアップをはかってきたが、そのために本件列車のようなディーゼル動車は、蒸気機関車と比較すると、外装鋼板を薄くし、自重をその約三分の一に減少させて、その安全性を低下させた。しかも蒸気機関車は客車と独立しているが、ディーゼル動車は客車をも兼ねているものであるから、車両の安全性については、より強い考慮が必要とされるものであることなどを考えると、右のように外装鋼板を薄くして、軽量化された本件列車は、旅客運送上要求される安全性を欠いた欠陥車である。もし本件列車が蒸気機関車であれば、たとえ本件自動車との衝突を避け得なかったとしても、本件のような大惨事を招くには至らなかったはずである。

(三) さらに、本件事故現場付近は、県道と日豊本線の軌道が併進して、軌道が県道の崖下を通っており、しかも以前に数回、県道から軌道上へ自動車が転落するという事故が発生した場所であり、しかも最近右県道の自動車の交通量が著しく増加していることなどを考え合わせると、本件事故現場付近には自動車の転落ないし転落した自動車と列車との衝突を防止するために、保安施設を設置すべきであるのに、日豊本線開設以来今日まで何らの保安設備もしないまま放置されていたもので、このことは鉄道施設が備えるべき安全性を欠如させていたことにほかならない。ちなみに東海道新幹線は、全線高架で、しかも路線敷地の両側には鉄柵が設備され、その安全性の確保に十分な配慮がなされている。

3  民法七一五条に基づく責任(一)

(一) 山本は、被告国鉄に機関士として勤務し、本件事故当日、本件列車を運転していたものであるが、本件事故は被告国鉄の被用者である山本の過失により発生したものである。

(二) 本件自動車の転落地点は、日豊本線鳥越トンネルの鹿児島駅側出口(以下「鳥越トンネル出口」という。)から一〇三・七五メートル鹿児島駅寄りの位置であり、山本が転落している本件自動車を発見し得る位置(以下「発見可能地点」という。)から右転落地点までは一二〇・二〇メートルの距離がある。ところで、山本は本件事故の直前において、時速約五五キロメートルで本件列車を運転していたのであるが、その場合に急制動により停止するまでの距離は、線路の勾配等の要素も勘案して一一七・七一メートルであり、山本が前方を注視し、発見可能地点において急制動の措置をとっておれば、本件自動車に衝突しなかったはずであり、仮に衝突したとしても、たいした衝撃を受けなかったはずである。しかるに本件列車は本件自動車に激突し、衝突地点(転落地点)から約二〇メートルも本件自動車を突き動かし、しかる後に脱線、転覆して停車しているのであり、これは山本が前方注視義務を怠り、衝突地点の七〇ないし八〇メートル手前ではじめて本件自動車を発見し、しかも急制動の措置をとらなかったことによるものであり、仮に急制動の措置をとったとしても、その措置が発見の遅れに従って大巾に遅れたことによるもので、結局本件事故は、山本の前方注視および適切な事故回避義務違反により発生したというべきである。

(三) よって、被告国鉄は民法七一五条により被用者である山本の過失により発生した本件事故に基づく損害を賠償する義務がある。

4  民法七一五条に基づく責任(二)

(一) 被告国鉄の鹿児島管理局運輸部列車課指令長であった訴外宮下一は、本件事故当日、鹿児島駅において、八人制の列車指令者の長として、全般的な業務の指令を行なっていた者であるが、本件事故当日の午前一〇時二九分ころ、本件自動車が鳥越トンネル付近の国鉄軌道上に転落したとの通報を受け、直ちに竜ヶ水駅に本件列車を停止させるよう連絡したが、既に同駅を通過していたので、その後一分ないし一分半位してから鹿児島駅の上園助役に列車の防護処置を指令したものである。

(二) 右訴外人が、前記通報を受けた時刻には、本件列車は竜ヶ水駅を通過するかどうか位の地点にあり、鳥越トンネルの竜ヶ水駅側入口(以下「鳥越トンネル入口」という。)のすぐ近くにある磯の踏切り付近に縦一列に四個信号燈のついた遠方信号機(以下「磯の遠方信号機」という。)が設備されており、右訴外人において、前記通報後直ちに磯の遠方信号機を操作して停止信号を発し、鳥越トンネル入口で本件列車を停止させるか、あるいは、右信号機を注意信号にかえれば、注意信号の場合は時速四五キロメートル以下で運転しなければならないことになっているから、本件列車がこれに従い右速度以下で運転していれば、発見可能地点で急停止措置を講ずることにより、本件自動車との衝突を回避し得たことは明らかである。しかるに右訴外人はかかる措置をとらず、本件事故を発生させたものである。

(三) 従って、被告国鉄は民法七一五条に基づき被用者である右訴外人の過失により発生した本件事故に基づく損害を賠償する義務がある。仮に右訴外人が前記信号機の操作を担当していなかったとしても信号機操作などの列車運行業務は、被告国鉄の被用者である国鉄職員が組織的に行なう業務であり、右信号機操作の担当者が具体的に明らかでなくとも、被告国鉄の被用者に業務遂行上の過失があった以上、被告国鉄は使用者として右損害を賠償する義務がある。

三  被告鹿児島県(以下「被告県」という。)の責任

1  本件自動車が転落した県道は、昭和四〇年三月三一日それまでの市道より県道として認定されたもので、以後被告県において管理する責任がある。

2  前記のとおり本件事故現場付近の県道は、県道と日豊本線の軌道とが併進し、また県道に認定替えされた昭和四〇年には大明ヶ丘、天神山団地および吉野公園の工事が施行され、同四四年、四五年とあいついで完成をみることとなり、その工事期間中は工事関係の車両が、それ以後は団地、公園等の利用者の車両が通行し、これとならんで吉田町にインターチェンジをもつ九州自動車縦貫道への接続道路としての重要性をもつに至ったもので交通量が著るしく増大し、県道から国鉄軌道上へ自動車が転落するという事故の発生する危険の大きい場所であるのに、被告県は、県道に追越禁止その他の適切な標識を設立しておらず、また本件事故当時、自動車の転落を防止するためのガードレールも設置していなかった。もっともガードレールのかわりに、県道の国鉄軌道側の端に添って、高さ四〇センチメートルの石造縁壁が設置されていたが、その縁石は本件自動車の衝突による衝撃に耐え切れず、その一部分が崩壊し、本件自動車もろとも国鉄軌道上に転落してしまった。

3  被告県は本件事故後、本件事故現場付近の県道の国鉄軌道側にガードレールを設置したが、その設置後にも、自動車がガードレールに衝突し、ガードレールがゆがむという事故が発生しており、もしガードレールが設置されていなかったならば、国鉄軌道上に自動車が転落していたであろうことは想像に難くない。

4  以上の事実によれば、本件事故当時、本件事故現場付近の県道には、国鉄軌道上への自動車等の転落防止設備がなかったか、もしくは設備が不充分であったと言わなければならず、本件事故は以上のような県道の設置または管理の瑕疵により発生したものであるから、被告県は国賠法二条一項により本件事故によって生じた損害を賠償する義務がある。

四  被告瀬崎運送有限会社(以下「被告会社」という。)の責任

本件事故は前記のとおり日高が本件自動車を運転中、走行していた県道から国鉄軌道上へ本件自動車を転落させ、折りから進行して来た本件列車に自車を衝突させ、もって別紙第二目録記載の北里留一ら九名に傷害を負わせたものであるところ、被告会社は、本件自動車の所有者であり、かつ本件事故は、被告会社の従業員である日高が被告会社の業務に従事中に発生したものであるから、被告会社は本件自動車を自己のために運行の用に供していた者であり、従って、被告会社は、自動車損害賠償保障法三条により、本件事故によって生じた損害を賠償する義務がある。

五  以上の被告らの責任のうち、被告国鉄の商法五九〇条に基づく責任を除いた被告らの各不法行為に基づく責任は、数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えた場合に該当するから、被告らは、連帯して本件事故により原告らの蒙むった損害を賠償する義務がある。

六  原告らの損害

1  松鶴ケサツイ(以下「ケサツイ」という。)の損害および相続関係

(一) ケサツイは、本件事故により前記のとおりの傷害を受け、事故後約八ヵ月間意識不明のまま入院治療を続け、その入院治療費として一七六万三、八四〇円を要した。

(二) ケサツイはその後どうにか意識を取戻し退院はしたが、左眼失明、言語障害、左半身完全麻痺の後遺症を残し、日常の起臥、食事、その他一切の生活につき他人の手を借りなければならない不具廃疾の身となった。前記傷害ならびに右後遺症によってケサツイが受けた精神的苦痛に対しては、一、三三三万三、三三三円をもって慰謝されるのが相当である。

(三) ケサツイは、右損害金のうち被告国鉄から一万円、自賠責保険から一〇万円の各填補を受けた。

(四) よって、ケサツイの請求損害額は一、四九八万七、一七三円となるところ、ケサツイは昭和五一年一二月一日死亡し、ケサツイの夫である原告松鶴政盛が三分の一(四九九万五、七二三円)、子である原告松鶴和光、同松鶴光広、同久木田富枝、同松鶴博、同松鶴政司、同松鶴政幸および同松鶴キヌ子が各二一分の二(一四二万七、三五〇円)の割合で、ケサツイの損害賠償請求権を相続した。

2  原告松鶴政盛の固有の損害

(一) 右原告はケサツイの夫であり、田四六〇一平方メートル、畑一三九五平方メートルを耕作し農業を営んでいたところ、ケサツイが前記のような傷害を受け、退院後も前記のような状態にあったため、事故後一年間つきっきりの看護を必要とし、そのため農業に従事することができなかった。右原告の一年間農業収入は少なくとも七一万〇、七二〇円であったから、右原告は同額の得べかりし利益を喪失した。なおケサツイも農業を手伝っていたが、農業による所得は、右原告の所得とみなされるものであり、右のような事情で生じた右原告の損害は、本件事故と相当因果関係があるというべきである。

(二) 右原告は、ケサツイの前記のような死にも劣らぬ傷害ならびに後遺症により、著しい精神的苦痛を受けた。これに対する慰謝料は二〇〇万円が相当である。

(三) よって、右原告の損害は二七一万〇、七二〇円となる。

3  原告松鶴キヌ子の固有の損害

(一) 右原告は、本件事故により前記傷害を受けたが、右傷害による精神的苦痛に対し、二〇万円をもって慰謝するのが相当である。

(二) 右原告は、ケサツイの二女であり、原告松鶴政盛と同様にケサツイの傷害ならびに後遺症により多大の精神的苦痛を受けたもので、これに対する慰謝料は一〇〇万円が相当である。

(三) 右原告は、右損害に対し被告国鉄より三、〇〇〇円の填補を受けた。

(四) よって、右原告の損害額は一一九万七、〇〇〇円である。

4  原告松鶴和光の固有の損害

右原告は、松鶴ケサツイの長男であり、原告松鶴政盛と同様にケサツイの傷害ならびに後遺症により著しい精神的苦痛を受けたもので、これに対する慰謝料は一〇〇万円が相当である。

5  原告山下巌の損害

(一) 右原告は、本件事故当時、丸善海運に勤務し、月額一〇万円の給与を得ていたものであるが、本件事故により前記傷害を受け、二ヵ月間就労できず、そのため二ヵ月分の給与二〇万円の支払を受けられなかった。

(二) 右原告は、前記傷害が治癒した後も、左前額部に傷痕が残っており、右傷害ならびに傷痕により精神的苦痛を受けたので、その慰謝料としては五〇万円が相当である。

(三) 右原告は、右損害に対し、被告国鉄より一万円、自賠責保険より一〇万円の各填補を受けた。

(四) よって、右原告の請求損害額は五九万円である。

6  原告海田幸子の損害

(一) 右原告は、本件事故により前記傷害を受け、右傷害による精神的苦痛に対し、一〇万円をもって慰謝するのが相当である。

(二) 右原告は、右損害に対し、被告国鉄より三、〇〇〇円の填補を受けた。

(三) よって、右原告の請求損害額は九万七、〇〇〇円である。

7  原告中山陽子の損害

(一) 右原告は、本件事故当時夫の営んでいる理髪業を手伝っていたものであるが、本件事故により前記傷害を受け、五〇日間その手伝いをすることができず、その間、日当一、〇〇〇円で職人を雇ったから、その損害は五万円となる。

(二) また右原告は、右傷害の症状固定後も下肢に神経症状が残存しているが、右後遺症は自動車損害賠償保障法施行令二条の後遺障害の等級表の一四級に該当し、その労働能力喪失率は労働省労働基準局長の通牒によると一〇〇分の五であり、右後遺症の存続期間は、右原告の年令(昭和一〇年三月二五日生)を考慮し、事故後一一年間とするのが相当である。右原告は前記理髪業の手伝いにより一日一、〇〇〇円の収入を得ることができ、一ヵ月二五日稼働するとして、年収は三〇万円であるところ、右後遺症による得べかりし利益の喪失額は、ホフマン式計算法により民事法定利率である年五分の割合により中間利息を差引いて、本件事故時の原価に換算すると、一二万二、三四〇円となる。

(三) 右原告の前記傷害ならびに後遺症による慰謝料は六〇万円が相当である。

(四) 右原告は、右損害に対し、被告国鉄より三、〇〇〇円、自賠責保険より五万円の填補を受けた。

(五) よって、右原告の請求損害額は七一万九、三四〇円である。

8  原告中山なぎさ、同中山陽治郎の損害

(一) 右原告両名は、本件事故によりそれぞれ前記傷害を受け、右傷害に基づく慰謝料は各二〇万円が相当である。

(二) 右原告両名は、右各損害に対し、被告国鉄より各三、〇〇〇円、自賠責保険より各五万円の填補を受けた。

(三) よって、右原告両名の請求損害額はそれぞれ一四万七、〇〇〇円である。

9  原告石原正雄の損害

(一) 右原告は、本件事故当時、養豚業を営み、少なくとも月額一五万円の収入を得ていたが、本件事故により前記傷害を受け、二ヵ月間休業したので、三〇万円の得べかりし利益を喪失した。

(二) また右原告は、頸部、大腿部などに後遺症が残存し、その労働能力喪失率は前記7の(二)と同様一四級で一〇〇分の五であり、右後遺症は事故後一〇年間存続するものと考えられる。右原告は年間一八〇万円の収入があるから、喪失額をホフマン式計算法により民事法定利率である年五分の割合により中間利息を差引いて本件事故時の原価に換算すると七一万四、六〇〇円である。

(三) 右原告の前記傷害ならびに後遺症に対する慰謝料は五〇万円が相当である。

(四) 右原告は、右損害に対し、被告国鉄より五、〇〇〇円、自賠責保険より一〇万円の填補を受けた。

(五) よって、右原告の請求損害額は一四〇万九、六〇〇円である。

10  訴外北里留一(以下「留一」という。)の損害および相続関係

(一) 留一は、本件事故により前記傷害を受け、即死したものであるが、留一は生前宮崎の山形屋デパートに勤務し、一年間に少なくとも一四三万円の収入を得ていたが、留一の生活費をその三分の一として、これを右の収入から控除すると留一の一年間の純収益は九五万三、三三二円となる。ところで留一は昭和六年七月七日生まれの普通健康体の男子であって、死亡時における残存稼働可能年数は一五年(平均余命は三〇年余)で、その間は右と同額の収入を得られたはずであり、その間に留一の得べかりし総利益をホフマン式計算法によって民事法定利率年五分の割合による中間利息を差引いて本件事故時の原価に換算すると、留一の得べかりし利益の喪失額は九四七万七、一五五円となる。

(二) 留一の死亡による慰謝料は一、四四〇万円が相当である。

(三) 原告北里幸代は留一の妻、同北里美幸および同北里敦弘は留一の子であり、右原告三名は留一の損害賠償請求権をそれぞれ三分の一(七九五万九、〇五二円)宛相続した。

(四) 留一の右損害に対し自賠責保険より五〇〇万円の填補がなされ、右原告らは相続分に応じ、原告北里幸代に一六六万六、六六六円、同北里美幸および同北里敦弘に各一六六万六、六六七円宛充当した。

11  原告北里幸代、同北里美幸、同北里敦弘、同北里留および同北里ハツミの各固有の損害

(一) 原告北里幸代は留一の妻、同北里美幸はその長女、同北里敦弘はその長男、同北里留はその父、同北里ハツミはその母であり、右原告らはいずれも留一の死亡により甚大な精神的打撃を蒙むったものであり、その精神的損害に対する慰謝料は、原告北里幸代に対し七〇〇万円、同北里美幸および同北里敦弘に対し各五〇〇万円、同北里留および同北里ハツミに対し各三〇〇万円が相当である。

(二) 原告北里幸代は右損害に対し、被告国鉄より三万円の填補を受けた。

12  以上により原告らの請求金額は別紙第一目録記載のとおりである。

なお、被告国鉄に対する商法五九〇条に基づく責任は旅客である別紙第二目録記載の北里留一ら九名に対するものであり、右責任原因に基づく原告らの請求額は、別紙第一目録「被告国鉄に対する商法五九〇条による請求金額」欄記載のとおりであって、この部分は、被告国鉄に対する他の請求原因に基づくものと選択的に請求するものである。

第三被告らの答弁

一  被告国鉄

1  請求原因一(事故の発生)について

原告らの主張するところ、日高が運転していた本件自動車が県道から約七メートル下を通っている日豊本線の軌道上に転落し、原告らの主張するとおり山本の運転する本件列車が衝突して本件事故が発生し、その主張するとおりの死傷者が生じたことは認めるが、原告らの受傷状況(北里留一の死亡は認める。)およびその余の事実は不知。

2  請求原因二(被告国鉄の責任)の1(商法五九〇条に基づく責任)について

被告国鉄に商法五九〇条による損害賠償義務があるとの主張は争う。原告らの受傷状況は不知。その余の事実は認める。

3  請求原因二の2(国家賠償法二条一項または民法七一七条に基づく責任)について

(一)の事実中、被告国鉄が原告らの主張するとおり鉄道施設の占有者であり所有者で右施設を管理するものであることは認めるが、その余の点は否認する。

(二)の事実中、被告国鉄が近年合理化により列車のスピードアップ(むしろ運転時間の短縮)をはかり、ディーゼル動車がいささか軽量化された(但し、自重が蒸気機関車の三分の一に減少したことは否認する。)こと、本件列車がディーゼル動車であること、蒸気機関車は客車と独立しているが、ディーゼル動車は客車を兼ねていることはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

(三)の事実中、本件事故現場付近は、県道と国鉄軌道が併進し、軌道が県道の崖下を通っていること、および東海道新幹線に関する事実は認めるが、その余の事実は否認する。

4  請求原因二の3(民法七一五条に基づく責任(一))について

(一)の事実中、山本が被告国鉄の機関士であり、本件事故当日、本件列車を運転していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)の事実中、本件列車が時速五五キロメートルで走行していた場合の制動距離が一一七・七一メートル(但し、この制動距離はブレーキ弁ハンドルを非常制動位置に移してから全列車のブレーキが完全に作用するまでのいわゆる空走時間を二秒間とし、また認知時間および反応時間を含まない場合の制動距離である。)であること、本件列車が衝突後本件自動車を約二〇メートル動かしたことは認め、その余の事実はすべて否認する。本件事故直前の本件列車の速度は時速五五ないし六〇キロメートルであり、本件自動車の転落地点は鳥越トンネル出口より九三・三メートル鹿児島駅に寄った地点であり、衝突後本件自動車が停止していた位置は一一二・三メートルの地点であり、また発見可能地点は鳥越トンネル出口よりトンネル内一〇・三メートルの位置である。

5  請求原因二の4(民法七一五条に基づく責任(二))について

(一)および(二)の事実中、宮下一が本件事故当日指令長として職務を行なっていたこと、同人が当日午前一〇時二九分ころ、本件自動車が鳥越トンネル付近の軌道上に転落したとの報告を受けたこと、その後竜ヶ水駅に本件列車を停止させるよう連絡した(但し、連絡したのは訴外又木正男である。)こと、午前一〇時三〇分ないし三〇分三〇秒ころ、宮下一から鹿児島駅運転助役の上園に連絡したこと、原告ら主張の磯の遠方信号機が設置されていることは認めるが、その余の事実は否認する。

(三)の事実中、宮下一が被告国鉄の被用者であることは認めるが、その余の点は争う。

6  請求原因五の共同不法行為であるとの主張は争う。

7  請求原因六(原告らの損害)について

原告らに対し、その主張するとおり自賠責保険金および被告国鉄からの見舞金が給付されたこと、留一およびケサツイの各相続関係は認めるが、その余の事実は不知。

二  被告県

1  請求原因一(事故の発生)について

本件自動車の転落地点における県道から日豊本線の軌道までの垂直高が七メートルであることは否認する(その垂直高は約五メートルである。)。本件自動車の転落の原因が、日高が先行車の右側を追越そうとしたためであったこと、負傷者の受傷状況(後遺症を含む)はいずれも不知。その余の事実は認める。

2  請求原因三(被告県の責任)について

1の事実は認める。

2の事実中、本件事故現場付近において、県道と日豊本線の軌道とが併進していること、本件事故当時、県道の国鉄軌道側にガードレールが設置されていなかったこと、県道に追越禁止等の標識が設立されていないこと(被告県には追越禁止場所を指定する権限はない。)、右の個所に石造縁壁(二段積、道路面からの高さ四〇センチメートル)を設置していたこと、その縁石の一部分(上段のみ)が崩壊し、本件自動車が国鉄軌道上に転落したことは認め、その余の事実は否認する。なお、昭和四四年一一月一九日に本件事故現場の北方数十メートルの県道上から軽自動車が国鉄軌道上に転落した事故があったが、これは後記のような特殊な事故である。

3の事実中、被告県が本件事故後、本件事故現場付近の県道の国鉄軌道側にガードレールを設置したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4の主張は争う。

3  請求原因五の共同不法行為であるとの主張は争う。

4  請求原因六(原告らの損害)について

原告らに対し、自賠責保険金および被告国鉄からの見舞金が給付されたことは認めるが、その金額ならびにその余の事実は不知。留一およびケサツイの相続関係は認める。

三  被告会社

1  請求原因一(事故の発生)について

県道から国鉄軌道までの高さ、死傷者の員数、留一の死亡の事実(いずれも不知)を除き、被告国鉄が認めている事実はいずれも認め、その余の事実は不知。

2  請求原因四(被告会社の責任)について

日高が被告会社の従業員であり、その業務に従事中本件事故が発生したものであること、本件自動車が被告会社の所有であり、被告会社のため運行の用に供していたものであることは認めるが被告会社に損害賠償義務があるとの主張は争う。

3  請求原因五の共同不法行為であるとの主張は争う。

4  請求原因六(原告らの損害)について

被告県と同じ。

第四被告らの主張

一  被告国鉄の主張

被告国鉄およびその職員は、以下に述べるとおり旅客の運送に関し、注意を怠らなかった。

1  本件列車の運転者山本には、本件列車の運転に関し、何ら責められるべき事由はない。

(一) 本件自動車の転落地点は、鳥越トンネル(全長三九六メートル)の出口から約九三・三メートルのところであるが、右トンネルの出口付近はR三〇〇(半径三〇〇メートル)の左カーブになっており、かつ本件事故現場付近は一〇〇〇分の一〇の上り勾配になっている。

(二) 山本は本件列車を運転して、国鉄竜ヶ水駅を所定の午前一〇時二三分ころに通過し、鳥越トンネル内を制限速度(時速六五キロメートル)以内の時速五五ないし六〇キロメートルで鹿児島駅方面へ向かって進行中、鳥越トンネルの出口付近にさしかかった際、前方約一〇〇メートルの地点に軌道上に転落している本件自動車を発見し、約二〇メートル走行したあと、非常制動による急停止の措置をとるとともに、非常警笛を吹鳴したが及ばず、本件自動車に衝突したものである。

(三) 前述のように鳥越トンネルの出口付近はR三〇〇の左カーブであり、前部をトンネルの方に向け、頭を下にして土手に添って斜めに傾いて、軌道敷内のレールに至らないバラストの端に突込んだ状態で転落していた本件自動車を、本件列車の運転席から発見し得る地点はトンネル出口の内側一〇・三メートルの位置である。ところで、山本はトンネル出口付近で本件自動車を発見しているから、右発見可能地点からすると、一〇メートル前後進行した後に発見したことになる。しかし延長三九六メートルの暗い鳥越トンネルをぬけて急に明るい所へ出るので、まぶしくて急には目が正常な状態にならず、いわゆる明順応によって目が明るさに順応するまでは若干の時間を要し、その間視力が低下することが考えられ、前方を十分注視していても、本件列車の速度からして、この程度の発見の遅れは当然であり、山本が本件自動車を発見した地点より以前で発見することは不可能といわざるを得ない。

(四) 本件列車はディーゼル動車であり、本件事故当時五両編成であったことと本件事故現場付近が一〇〇〇分の一〇の上り勾配であることを加味すると、空走時間(ブレーキ弁ハンドルを非常制動位置に移してから全列車のブレーキが完全に作用するまでの時間)を二秒とした場合、本件列車の制動距離(ブレーキ弁ハンドルを非常制動位置に移してから列車が停止するまでに走行する距離)は、時速五五キロメートルで一一七・七一メートル、時速六〇キロメートルで一四七メートルである。右空走時間は現実には三秒程度を要するのが普通であり、空走時間を三秒とした場合の制動距離は、時速五五キロメートルで一三三メートル、時速六〇キロメートルで一六三メートルとなる。しかも、ブレーキ操作にかかる前に軌道敷内に障害物を発見確信するのに要する時間(認知時間)および危険を感じブレーキをかけるべきだと判断し、制動動作にかかりブレーキ弁ハンドルを非常制動位置に移すまでの時間(反応時間)が各一秒程度は必要であり、この時間は前記制動距離には含まれていないので、危険物の発見可能地点で危険物を発見してから実際に制動して列車が停止するまでの距離には前述の制動距離にさらに約二秒間の走行距離を加える必要があり、そうすると時速五五キロメートルの場合で一四八・三一(空走時間二秒の場合)ないし一六三・六メートル(同三秒の場合)、時速六〇キロメートルの場合で一八〇・二(同二秒の場合)ないし一九六・二メートル(同三秒の場合)である。そうすると、山本が本件自動車を発見後直ちに非常制動の措置をとったとしても、本件事故は到底避け得なかったものである。

2  また、本件事故の際、被告国鉄のその他の職員が、本件事故を避止するためになした措置についても責められるべき事由はない。

(一) 被告国鉄の鹿児島鉄道管理局運転部列車課主席宮下一(指令長)は、本件事故当日午前一〇時二九分に、警察署から本件自動車が軌道上に転落したとの通報を受けたので、直ちに本件列車を停止させるために、指令担当の又木正男に竜ヶ水駅へ電話連絡させたが、既に本件列車は同駅を通過後であった。そこで宮下一は午前一〇時三〇分ないし三〇分三〇秒ころ、自ら鹿児島駅運転助役の訴外上園に電話で連絡し、本件事故を避止するための手配をしたが、既に一〇時三〇分ころには本件事故が発生し、一〇時三二分にはその旨の連絡が入っているのであり、宮下一から連絡を受けた右上園が連絡後直ちに磯の遠方信号機を操作して減速の指示をしたとしても一〇時三〇分に発生した本件事故を回避することは不可能であった。

(二) 右に述べたとおり、被告国鉄の職員は、本件事故を避止するために、関係方面に可能な限りの連絡をするなどの手段を講じたが、本件自動車が軌道上に転落した旨の通報を受けてから、本件事故の発生までは極めて短時間で、時間的余裕がなかったために本件事故を避けることができなかったものである。

3  本件列車には何らの欠陥はなく、軌道設備および保安設備の設置および保存についても瑕疵はなかった。

(一) 社会経済情勢の進展に伴って、列車の所要運転時間の短縮が要請されるようになったために、被告国鉄は、動力車などの自重をいささか軽量化することによって、列車のスピードアップをはかってきたものであるが、それに際しては、動力車の外装鋼板を外板と内板の二重構造にし、その内部に補強のための鋼製の控を入れるなどして、その安全性の保持には十分な注意を尽くしており、また逆に動力車の自重が軽量化することにより、制動距離が短縮されるなどの利点も看過できない。

(二) また被告国鉄は、軌道の保安設備の設置、保存についても十分な考慮を払っている。すなわち、危険個所には軌道上への転落車、落石警報装置、車両侵入防止のための柵、網などの保安設備を設置しており、あるいは道路管理者にその設置を要請している。ところで、本件事故現場付近は県道と国鉄軌道が併進している個所ではあるが、本件事故現場付近の県道は、幅員七・七メートルの直線道路で見透しも極めてよく、従来、県道から国鉄軌道上へ自動車が転落するなどの事故を含めて、交通事故は発生していない場所である。もっとも昭和四四年一一月一九日午後一一時ころ、本件自動車の転落地点の北方数十メートルの県道上から国鉄軌道上へ軽自動車が転落した事故が一件あるが、この事故は集中豪雨により県道の国鉄軌道側の路肩および軌道までの土手が延長約三〇メートルにわたって崩壊し、県道の国鉄軌道側に設置されていた石造縁壁も崩壊して落下し、まだその復旧工事が未了の間に、居眠り運転により右の崩壊個所から国鉄軌道上へ転落したという特殊な事故であった。

(三) 本件事故現場付近の県道の国鉄軌道側には、被告県が主張するとおり、石造縁壁および側溝が設置されているが、右に述べたような本件事故現場付近の県道の状況からして、通常の場合には、自動車が軌道上へ転落するのを防止するには十分な設備というべきである。本件事故は、県道の右側へ暴走し、縁壁に衝突するという社会通念上予想し得ないような日高の無謀な自動車の運転が起因となって発生したものである。

(四) 従って本件事故現場付近は、保安設備を要するほどの危険個所であるとはいえないし、県道には自動車の転落を防止するには十分な設備がなされていたから、被告国鉄が保安設備を設置しなかったとしても、瑕疵があるとは言えない。

二  被告県の主張

1  本件事故現場付近の県道は、もと市道であったところ、昭和四〇年三月三一日に県道に認定されたものであるが、市道当時から国鉄軌道側には二段積の石造縁壁があり、その内側に幅約四〇センチメートル、深さ約一五センチメートルの側溝が設置されている。右石造縁壁の高さは側溝の底から約五五センチメートル、道路面から約四〇センチメートルであり、積石一個の大きさは、上段の石が幅約二四センチメートル、高さ約二九センチメートル、長さは一定していないが平均約一メートルで、下段の石は、幅と長さは上段の石とほぼ同じで、高さ約三九センチメートルであり、下段の石は、その一部が地中に埋設されていて、各積石はセメントモルタルにより強固に接着されている。

2  このような側溝および石造縁壁の設置状況からすると、側溝は自動車が直接石造縁壁に衝突することを避け得る効用があるし、また石造縁壁は、仮に自動車が衝突した場合にも、相当の衝撃に耐え得るように設置されており自動車の国鉄軌道上への転落を防止するためには十分な施設であるといえる。しかも、被告国鉄が主張するように、本件事故現場付近の県道(舗装されている)は原告らの主張するような危険個所ではなく、本件事故まで前記石造縁壁が自動車の接触ないし衝突により破損した跡はまったくみられず、昭和四四年一一月一九日の転落事故は被告国鉄が主張するように特殊な事故である。

3  本件事故は、日高が先行車を追越そうとしてハンドルを右に切り過ぎたため、本件自動車の右前車輪を側溝に落ち込ませたのに、そこで停止しないで、そのまま側溝から出ようとしてアクセルを踏んで加速したため、側溝にとらわれて約二〇メートル走行したのち国鉄軌道上へ転落したものであるが、石造縁壁は本件自動車の接触ないし衝突により直ちに崩壊したものではなく、しばらくは石造縁壁に接触したまま走行する本件自動車の圧力に耐えて、国鉄軌道上への転落を防止していたが、日高が本件自動車を右傾させたままさらにアクセルを踏んで加速し、強引に前進しようとしたためにその強圧に耐えることができず、その上段だけが一部分崩壊し、本件自動車が国鉄軌道上へ転落するに至ったものである。

4  右の事実からすると、石造縁壁は相当強度の耐久力を備えていたものであるといえる。そして右のような本件自動車の暴走の経緯からすると、県道の国鉄軌道側にガードレールが設置されていたとしても、本件自動車はそれを破壊ないし歪曲させて、国鉄軌道上へ転落したであろうと推測される。

5  以上のとおり、本件事故は日高の無謀な運転のみに起因するものであり、被告県の県道の設置および管理について何らの瑕疵もないのであるから、被告県が国家賠償法二条一項により原告らの蒙むった損害を賠償すべきいわれはない。

三  被告ら全員の主張

仮に被告らに損害賠償義務があるとしても、次の原告らおよびケサツイは損害の一部につき填補を受けているので、これを各損害額から控除すべきである。

1  次の原告らおよびケサツイはそれぞれ左記の自賠責保険金(治療費以外の分)を受給している。

(一) 松鶴ケサツイ 四二八万八、四二八円

(二) 原告山下巌 四一万七、五二九円

(三) 同 中山陽子 四〇万四、九〇〇円

(四) 同 中山なぎさ 五万八、九二〇円

(五) 同 石原正雄 一八万五、六〇〇円

2  原告北里幸代は左記のとおり労災保険の遺族補償年金を受給しているところ、この年金は留一の逸失利益を補填する性質を有しているので、原告北里幸代、同北里美幸、同北里敦弘が相続した留一の逸失利益から、右金額の各三分の一宛を控除すべきである。

(一) 昭和四八年三月から同五一年一二月までの受給額三〇八万〇、六四九円(但し、昭和五一年度受給額は前年度受給額と同額の九六万四、七二四円として計算)。

(二) 昭和五二年一月一日以降受給すべき遺族補償年金の現価一、五八〇万一、二一四円。

原告北里幸代(現在三七才)が今後の就労可能年数二六年間に受給すべき年金の現価を、年間受給額九六万四、七二四円として、ホフマン係数を一六・三七九として計算すると一、五八〇万一、二一四円となる。

(三) 右(一)、(二)の合計一、八八八万一、八六三円

第五被告らの主張に対する答弁

一  被告国鉄の主張に対する答弁

1  被告国鉄の主張1(山本に関する主張)について

(一) 同項(一)の事実は不知。

(二) 同(二)の事実中、本件列車の運転者が山本であったことは認め、その余の事実は不知。

(三) 同(三)の事実中、被告国鉄の主張する山本が本件自動車を発見した地点以前に本件自動車を発見することは不可能であったことは否認し、明順応についての主張は争い、その余の事実は不知。

(四) 同(四)の事実中、本件列車がディーゼル動車であることは認め、本件事故が避け得なかったとの主張は否認し、その余の事実は不知。

2  被告国鉄の主張2(宮下一らに関する主張)について

(一) 同項(一)の事実は不知。なお磯の遠方信号機を操作して減速の指示をしたとしても本件事故を回避し得なかったとの主張は争う。

(二) 同(二)の事実は不知。

3  被告国鉄の主張8(列車の欠陥、保安設備等に関する主張)について

(一) 同項(一)の事実中、運転時間の短縮が要請されるようになったこと、動力車などの自重を軽量化してスピードアップをはかってきたことは認めるがその余の事実は不知。安全性の保持に十分な注意を尽くしているとの主張は争う。

(二) 同(二)の事実中、本件事故現場付近の県道から軌道上へ自動車が転落するという事故を含めた交通事故が発生しなかったことは否認する。被告国鉄の主張する昭和四四年一一月一九日に転落事故が発生したことは認めるが、その内容は不知。その余の事実は認める。

(三) 同(三)の事実中、県道の国鉄軌道側に石造縁壁および側溝が設置されていることは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同(四)の主張は争う。

二  被告ら全員の主張に対する答弁

被告らの主張する原告らおよびケサツイがその主張する自賠責保険金を受給していること、原告北里幸代が昭和四八年三月から同五一年一二月までの間に労災保険の遺族補償年金三〇八万〇、六四九円を受給したことは認めるが、将来受給すべき年金を現価計算し控除すべきであるとの主張は争う。

第六証拠関係《省略》

理由

第一本件事故の発生ならびにその経緯について

一  本件事故現場付近の状況

《証拠省略》によれば、本件事故現場付近の状況は次のとおりであることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

1  本件事故現場付近は鹿児島市稲荷町の住宅地区で、西側から順次、鹿児島市街地方面から加治木町方面に向かう国道一〇号線、稲荷町から吉野町方面に向かう県道吉野公園線、鹿児島駅から竜ヶ水駅に向かう日豊本線および市道があり、いずれも南北に走っている。県道吉野公園線は、鹿児島市稲荷町二四番二五号先の国道一〇号線から分岐し、北方にある吉野町方面に通じる県道で、右分岐点付近から北方約一三〇メートルの位置にある日豊本線の鳥越トンネル出口付近までは、西側は国道一〇号線と、東側は日豊本線とそれぞれ接し、併進しており、その間はほぼ直線で見とおしはよい(その概況は別紙図面第一図のとおりである。)。

2  右県道は幅員七・七メートルのコンクリート舗装道路で吉野町方面に向かって昇り坂となっており、前記日豊本線との併進区間の県道東側には、幅約四〇センチメートル、深さ約一五センチメートルのコンクリート製の無蓋側溝が設置され、側溝の東側には幅約二五センチメートル、上段の高さ約三〇センチメートル、下段の高さ約四〇センチメートルの縁石がセメントモルタルで接着され、下段の縁石は道路側で約一五センチメートル、日豊本線側で二四・五センチメートル埋設され、道路面から縁石上部までの高さは約四〇センチメートルである(但し、本件事故現場付近の北方から鳥越トンネル出口付近までの間のうち約三〇メートルの区間は、昭和四四年六、七月の豪雨で縁石および土手が崩壊し、その補修工事により前記縁石より約五センチメートル高いコンクリート製の縁壁が設置されている。)。右縁石の東側は八〇ないし一〇〇センチメートル位の幅で平坦な土羽があり、そのさらに東側は、約六〇度の下り急斜面となり、斜面の日豊本線軌道までの長さは前記国道一〇号線との分岐点付近で約五メートル、鳥越トンネル出口から南方九三・三メートル地点で約六・八メートル、同トンネル出口付近で約一二メートルである。なお県道西側にも東側と同様の無蓋側溝が設置されている(その概況は別紙図面第二図のとおりである。)。

3  本件事故現場付近の日豊本線は、軌道敷地の幅員五・五メートルで南北に走り、南方に鹿児島駅、北方に竜ヶ水駅があり、両駅間に三九六メートルの鳥越トンネルがあり、同トンネル出口は鹿児島駅から一、四三八メートル、小倉駅基点から四六〇・六二八キロメートルの地点にある。本件事故現場付近の日豊本線軌道敷の西側は前記のように約六〇度の上り急斜面となっており、斜面の上部に県道があり、東側もほぼ同様の上り急斜面で、その上部に市道がある。右軌道は、小倉駅基点四六〇・四〇四キロメートル(鳥越トンネル出口から二二四メートル北方)から同四六〇・七〇五キロメートル(同出口から七七メートル南方)の区間(三〇一メートル)半径三〇一・七五メートルの左カーブとなっており、同カーブの南側終点から鹿児島駅側一四八メートルの区間は直線になっている。また小倉駅基点四六〇・一一五キロメートルから同四六〇・七七九キロメートル(鳥越トンネル出口の南方一五一メートル)の区間(六六四メートル)は一〇〇〇分の一〇の上り勾配になっている。鳥越トンネル出口から約二五二メートル鹿児島駅側の軌道敷左側に場内信号機、右信号機から約七〇〇メートル竜ヶ水駅側に遠方信号機がそれぞれ設置されている。

二  本件自動車の転落の状況

1  昭和四五年一一月二四日午前一〇時二五分ころ、日高運転の自動車が鹿児島市稲荷町二四番二五号先付近の県道から日豊本線の軌道上に転落したことは、当事者間に争いがない。そこで、以下転落の原因および転落地点について検討する。

2  《証拠省略》によれば、日高は大型貨物自動車である最大積載量七・五トンのダンプ車(鹿一あ八〇七四号、空車)を運転して時速約四〇キロメートルで国道一〇号線を鹿児島市街地方面から加治木町方向に進行し、鹿児島市稲荷町二四番二五号先の前記国道一〇号線と県道との分岐点付近にさしかかり、国道一〇号線から右に道路を移し、県道を吉野町方面に向け進行しようとした際、前方約三〇メートルの右分岐点付近の県道を吉野町方向に時速一〇ないし二〇キロメートルで進行している先行自動車を認めたが、自車の速度の方が速く、同車を追越せるものと考え、同一速度で進行し、先行自動車に追いつき、県道の中央寄りを走行していた先行自動車の右側に進出し追越しにかかったが、同車と接触するかもしれないと思いハンドルを右に切ったところ、自車右前輪を前記県道の東側側溝に落とし、側溝内を右前輪のホイルナット付近が縁石に接触した状態で一〇数メートル走行したところ、上段の縁石が下段の縁石から剥離し、一部は縁石自体が折れ、上段の縁石を一三・三メートルにわたり落下させ、下段の縁石を乗り越えて、自車を日豊本線の軌道敷地内に転落させたこと、右転落地点は、本県自動車の鳥越トンネルにもっとも近い部分で鳥越トンネル出口から約九三・三メートルの日豊本線の西側軌条のやや外側付近であったことが認められ、右認定を左右するに足る適確な証拠はない。なお、転落地点については、前記甲第一号証の一一〇に添付された被告国鉄の本件事故についての調査資料には、鳥越トンネル出口から鹿児島駅側一〇二メートルの地点とされ、また検証(第二回)の結果では同じく一〇三・七五メートルの地点とされているが、事故直後に転落の痕跡が明瞭に残っている状況で作成された甲第一号証の一八三(司法警察員作成の実況見分調書)の記載に照らし、採用しえない。

三  本件事故発生の経緯

1  本件自動車が転落した後、竜ヶ水駅方面から進行してきた山本運転の宮崎駅発山川駅行きの五両連結の急行列車錦江一号(本件列車)が本件自動車に衝突し、一両目が脱線横転し、二両目が脱線したことは当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》および証人山本義久の証言(後記措信しない部分を除く。)によると、次の事実が認められる。

(一) 本件列車は、宮崎駅発山川駅行きの五両連結の急行列車錦江一号で、事故当時山本が運転していたものである(この事実は当事者間に争いがない。)が、事故当日午前八時一〇分に宮崎駅を出発し、定刻の同一〇時二三分四五秒に竜ヶ水駅を通過し、同一〇時三一分三〇秒鹿児島駅に到着する予定であったところ、本件事故が発生したものである。

(二) 本件事故当時、本件列車には運転士山本のほか、運転士である小野原四郎が助手席に、車掌の境輝顕が三両目にある車掌室に乗務し、乗客は一両目約七〇人、二両目約一七人、三両目約四四人、四両目約七〇人、五両目約五〇人の合計二五一名であった。

(三) 本件列車は、下り急気第五〇三D列車と呼称されるディーゼルカーで、一両の長さは二一・三メートルである。

(四) 山本は本件列車を運転し、竜ヶ水駅を定刻に通過し、磯の遠方信号機の青の表示に従って進行し、鳥越トンネル入口付近を時速約五八キロメートル、同トンネル中央付近を時速約五六キロメートル、同トンネル出口付近を時速約五五キロメートルで走行し、鳥越トンネル出口から約二〇メートル進行した地点で本件自動車を発見し、非常制動をかけたが及ばず、本件列車の右前部が本件自動車に衝突し、約一九メートル本件自動車を引きづり、本件列車の一両目は脱線し、進行方向左側に約四五度傾斜して土手に横転、二両目は脱線し、鳥越トンネル出口から鹿児島駅方向に一二七・七メートルの地点で停止した。右衝突時刻は午前一〇時三〇分ころである。

(五) 証人山本義久の証言中、本件自動車の発見地点に関する供述は、《証拠省略》に照らし措信しえず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

四  被害状況

1  《証拠省略》によれば、本件列車の一両目に乗車していた別紙第二目録記載の北里留一ら九名が本件事故により同目録「本件事故当時の受傷状況」欄記載の各傷害を受け、北里留一が死亡した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  《証拠省略》によれば、本件事故により、前記九名以外にも本件列車の一両目に乗車していた者のうち二七名が受傷し、そのうち松本敏雄が死亡した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

第二被告らの責任について

一  被告会社について

本件自動車が被告会社の所有であり、本件事故当時被告会社のため運行の用に供していたものであること、日高は被告会社の従業員であり、本件事故当時、本件自動車を運転し、被告会社の業務に従事していたことは原告らと被告会社との間に争いがない。

二  被告県について

原告らは、本件事故現場付近の県道は危険個所であるのに追越禁止等の標識がなく、また日豊本線への転落を防止するためのガードレールの設置がなかったこと、前記縁石は転落防止設備として不十分なものであるとして、被告県に県道の設置および管理に瑕疵があったと主張し、これに対し被告県は、右県道は危険個所ではなく、これまで縁石に自動車が接触ないし衝突した事例もなかったこと、右縁石は相当の衝撃に耐え得るもので、転落を防止するためには十分な施設であると主張する。そこで以下この点について検討する。

1  県道吉野公園線は、もと市道であったが、昭和四〇年三月三一日県道として認定され、以後被告県において管理する責任があったことは原告らと被告県との間に争いがない。《証拠省略》によれば、市道から県道に認定替えされたのは、右市道の北方に吉野公園が開発され、道路法七条一項一号にいう主要地と主要な観光地を連絡する道路となり、交通上重要な路線となり、交通量も増えることが理由となっていたこと、県道に認定されてから本件事故当時まで実際に交通量が増加したこと、本件事故現場付近の県道は市道から引継いだ時点で、幅員七・七メートルの簡易舗装のなされた道路で、県道認定後被告県でそれに上張り(オーパーレイ)しただけで、前記認定の本件事故当時の現場付近の県道の状況は市道当時と変わりがないことが認められる。また《証拠省略》によれば、昭和四〇年から同四四年にかけて吉野町にある大明ヶ丘・天神山団地の土地造成が施行され、昭和四〇年九月には吉野公園(三〇・九ヘクタール)の事業認可がなされ同四五年五月開設されたこと、県道吉野公園線の吉野町付近の交通量は、昭和四三年度二一七八台、同四六年度三四八八台(一二時間)であることが認められ、このような事実からすれば、本件事故現場付近の県道は市道から県道に認定替えされた後、前記団地や公園の造成等のため建設用の大型車両等の交通量が増大したであろうことは容易に推察しうるところである。

2  ところで、本件事故当時は前記のとおり日高が先行車を追越す際にハンドル操作を誤まり、最大積載量七・五トンの大型ダンプ車の右前輪を側溝に落とし、側溝内を右前輪のホイルナット付近が縁石に接触した状態で走行させたため、その圧力に耐えきれず、縁石の上段が一三・三メートルにわたって崩れ、本件自動車を日豊本線軌道上に転落させて、本件列車と衝突するに至らせたものであり、右縁石の崩壊が日高の右のような運転行為に起因するものであることは明らかである。そこで以下、右縁石に瑕疵があったかどうか、右縁石の設置が道路の通常有すべき安全性を備えていたか否かについて考察する。

3  《証拠省略》によれば、本件事故現場の約四〇メートル北方で昭和四四年六、七月の豪雨のため県道の縁石および日豊本線側の土手が約三〇メートル崩壊し、その復旧工事が完成しない同年一一月一九日午後一一時五分ころ、軽自動車が居眠り運転のため、右崩壊場所から日豊本線軌道上に転落した事故があったが、その他には本件事故現場付近で転落事故が発生したことはこれまでなかったこと、右崩壊現場の復旧工事の際、崩壊場所に近い縁石を一個所ハンマーとバールを使い上段と下段とをはずし、接着状況を点検したが一応異常を認めなかったこと、また鹿児島土木事務所において日常道路のパトロールを行ない、道路の状況等について安全確認を行なっていたが、本件事故現場付近の縁石に亀裂等の異常はみられなかったこと、このようなことから被告県としては、本件事故の発生まで事故現場付近の縁石をガードレール等、他の防護施設に替える必要性を考えていなかったことが認められる。

4  《証拠省略》によれば、被告国鉄は以前から自動車等の転落の危険のある個所については、その管理者に対し防護柵等の設置を要請してきており、本件事故現場の東側市道については昭和四四年六月鹿児島市に対し転落防止柵の新設を依頼しているが、本件事故現場付近の県道については本件事故発生までそのような依頼をした事実はなく、本件事故が発生したため、事故の翌日被告国鉄から被告県に対し、本件事故現場付近一六〇メートルにつき自動車転落防護設備の設置を要請し、被告県は昭和四五年一二月二五日、高さ七二センチメートルのガードレールを一五〇メートルにわたり設置したことが認められる。

5  ところで、道路法によれば、「道路の構造は当該道路の存する地域の地形、地質、気象その他の状況および当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対して安全なものであるとともに、安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない。」(同法二九条)とされている。そして本件事故現場付近の県道は交通量も多く、県道と日豊本線軌道とが相接して併進し、県道から下方の軌道までは五メートルないし一二メートルの急斜面となっており、しかも鳥越トンネルがカーブしているため竜ヶ水駅方面から走行してくる下り列車の見とおしは極めて悪い状況にある。鉄道が高速度の大量輸送機関であることはいうまでもなく、右のような地形から考えれば、一旦自動車が転落すれば、運転手の生命ばかりか多数の列車の乗客をまきぞえにし、本件のごとき大惨事を引き起こす虞れが極めて大きく、右法令によるまでもなく、道路管理者たる被告県は本件事故現場付近の県道の日豊本線軌道側には自動車の転落を防止するに足る相当な防護施設を設置する義務があるものというべきである。

6  本件事故現場付近の県道東側に設置されていた縁石は市道当時からあったもので、証人村山裕の証言によると、鹿児島市においても右縁石がいつ設置されたものか明らかでないということであり、相当以前に設置されたものと思われる。右証人の証言によれば、被告県は県道移管後右縁石の強度について科学的実験による検査は行なっていないことが認められ、その強度については明らかではない。しかし、本件事故以前には前記の豪雨による崩壊に起因する転落事故が一件発生しただけであることに鑑みれば、縁石が設置された当初の交通量も少なく、大型車両もあまりなかった時代には、右縁石も自動車等の転落防止設備として一応その役割を果していたものと推察される。

7  そこで、次に本件事故当時においても右縁石が転落防止設備としての機能を有していたか否かが問題とされなければならない。前記のように本件事故の約一年前、豪雨による崩壊個所の復旧工事に際して行なわれた縁石の接着状態の検査、日常のパトロール等により、縁石自体に亀裂や接着部分の剥離が認められなかったことからすれば、右検査等が科学的実験のような厳密なものでなくとも、一応縁石自体には瑕疵がなかったものと推認するのが相当である。しかるに、日高が本件自動車を側溝に脱輪させ、車輪の一部が縁石に接触した状態で走行したところ、縁石の上、下段の接合部がはずれ、あるいは縁石が一部折れ、本件自動車が転落するに至ったもので、右自動車の加えた圧力に縁石が耐えられなかったものであることは明らかである。そうすると、結局において右縁石は、本件事故現場付近の地形上要求される自動車の転落防止施設としては不充分なものであったというほかはなく、前記県道吉野公園線の日豊本線との併進区間には道路の設置または管理上、右の点において瑕疵があったと推定するのが相当である。

8  被告県は、右縁石は相当強度の耐久力を備えていたものであり、縁石の崩壊は日高の予想外の無謀運転によるものであると主張する。しかし、被告県において縁石の強度を検査したこともなく、《証拠省略》によれば、本件事故後縁石の一部を撤去した際、縁石の接合部にノミを入れ、ハンマーで叩いてはずしたところ、容易にはずれず大部分が石の方が欠ける状況であったことが認められるが、高速で走行中の大型車両による衝撃とハンマー等の打撃とは比較の対象にもならないと思われ、縁石の強度を実証するものとは到底いえない。また《証拠省略》によれば、本件自動車が側溝に脱輪し、右前輪のホイルナット付近が縁石に接触してから、縁石の落下部分まで約四・三メートルの間は縁石は崩れなかったことが認められるが、右証拠によれば、その間の縁石も上下段の接合部に亀裂が生じていることが認められ、必ずしも自動車の衝撃に耐えうる強度を有していたことを示すものともいいえない。

9  そこで、最後に日高の本件自動車の運転行為が、社会通念上予測し難い行為といいうるか否かが検討されなければならない。本件自動車が先行自動車を追越そうとして右前輪を側溝に落とし、軌道上に転落した経過は先に判示したとおりであるが、本件事故現場付近の県道に追越禁止の指定がなされていなかったことは原告らと被告県との間に争いがなく、前認定の県道の状況からして、国道一〇号線との分岐点(交差点)を通過した後は法令上の追越禁止場所にも該当しないものと思料される。そして右県道は幅員が七・七メートルの見とおしのよい昇り坂の道路で、通常の場合十分追越しが可能な道路である。このような道路状況では速度の遅い先行車を後進車が追越すことは日常的にみられるところであり、しかも時として、違法あるいは不適当な追越しがなされることも、道路交通上周知の事実といわなければならない。日高の本件自動車による追越しも、先に認定したとおり先行車が道路中央寄りを走行中に追越そうとしたもので、不当な追越しであることは明らかであるが、このような不当な追越しがままなされることは、一般に予想し難いものとはいえず、また無理な追越しにより様々な交通事故が生起していることも公知の事実であり、日高は前記のごとき不当な追越しをかけ、先行車に接近したところで接触の危険を感じハンドルを右に切ったため、右前輪を側溝に落としたものであるが、このような事故は道路交通上、決してまれなものとはいいえない。

10  さらに被告県は、日高の脱輪後の措置が不適当であったと主張するところ、《証拠省略》によれば、日高は昭和四五年一二月三日検察官に対し、脱輪後の措置について、「……側溝に落ちたな、しまったと思いました。それで側溝からあがるためアクセルを踏んだのです。しかし、側溝からあがれなかったので今度はブレーキを踏んだのですが……」と供述していることが認められ、日高の脱輪後の措置が右供述のとおりであったとすれば、脱輪した場所が日豊本線の軌道に面した崖の淵であるから、危険を防止するため直ちに急制動の措置をとるべきであり、そうしていれば、あるいは転落しなかったかもしれない。しかし、側溝に車輪を落とした場合に、運転手がアクセルを踏んで側溝からあがろうと試みるのは通常あり得ることというべきで、日高の脱輪後の措置が、道路管理者において予測し難い程の異常な行為であったとは認められない。

11  以上要するに、本件事故現場付近の県道には、その地形上より日豊本線軌道上への自動車の転落を防止するに足る相当な施設が設置されるべきであるところ、当時右県道には一応自動車等の転落を防止するために前記認定のような縁石が設置されていたが、右縁石は日高の本件自動車の運転行為により破壊されたものであり、右縁石は自動車の転落を防止するに足る強度を備えていなかったというほかなく、右県道はその存する地域の地形上要求される安全性を備えていなかったから、被告県の右県道の管理には瑕疵があったと認めるのが相当であり、また、右縁石が崩壊した原因は、日高の違法または不当な運転行為にあるけれども、本件のように道路と鉄道が併進している地形の状況においては、道路管理者は、道路交通上通常予測し得る違反行為や不適当な運転行為に対してもなお対応し得るだけの安全措置を講じておく義務があるものと解するのが相当であり、日高の前記運転行為は道路管理者において予測し得ない程の異常なものとはいえず、右縁石の崩壊が不可抗力によるものとは認められない。そうすると結局、本件事故現場付近の県道には、日豊本線の軌道上に自動車が転落するのを防止するに足る相当な防護設備の設置等の安全措置がなされていなかった点において、被告県の右県道部分の管理には瑕疵があったといわざるを得ない。

三  被告国鉄について

1  被告国鉄が、機関車、貨客車、軌道設備、軌道の敷地その他これらに関連する施設の所有者であり、かつ占有者であることは原告らと被告国鉄との間において争いがなく、《証拠省略》によれば、本件事故現場付近の県道と日豊本線軌道との間の斜面は、軌道敷地から右斜面の法肩までが被告国鉄の所有地であることが認められ、本件事故現場付近の日豊本線軌道敷および右法面部分を被告国鉄が占有管理していたこと、本件事故当時、被告国鉄の右管理部分に自動車の転落あるいは転落した自動車と列車との衝突を防止するための保安施設が設置されていなかったことは、被告国鉄において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。ところで原告らは、右保安施設が設置されていなかったことをもって、本件事故現場付近の鉄道施設に設置または管理上瑕疵があったと主張するので、以下この点について判断する。

2  大量の旅客を運送する被告国鉄は、旅客の生命身体等の安全を確保するため、自動車等の障害物が軌道上に転落する危険のある場所においては、道路等の管理者に転落防止措置を講じさせるか、あるいはそのような措置がなされない場合は、万一自動車等が軌道側に転落した場合でも列車との衝突を防止し得る保安上の施設を備えておくべき義務があることは明らかである。

3  そして、先に判示したとおり、本件事故現場付近は、被告国鉄の管理する日豊本線軌道と軌道の西側斜面上にある県道吉野公園線とが併進している場所で、前記認定の昭和四四年一一月一九日の転落事故を別にすれば、本件事故まで一度も自動車の転落事故は発生していなかった場所であるが、本件事故当時の右県道の交通量の増加、車両の大型化等から考え、交通事情の変化にともなった措置がなされない限り、早晩本件のような転落事故が発生する危険があったというべきである。

4  被告国鉄は、本件事故現場付近の県道に設置されていた縁石は、自動車が軌道上に転落するのを防止するに十分な設備であり、本件自動車の転落は日高の社会通念上予想し得ない無謀な運転行為によるものであると主張するが、右縁石が自動車の転落を防止するに足る十分な設備とはいえず、日高の運転行為も違法、不当なものではあるが被告国鉄にとって予想外の行為とは認められないことは、先に被告県について判断したとおりである。

5  そうすると、本件事故現場付近の被告国鉄の管理する鉄道施設には、その鉄道施設の管理に瑕疵があったというべきである。そして被告国鉄が公法上の財団法人たる営造物法人で、国家賠償法二条にいう公共団体に該当することは明らかであり、被告国鉄の鉄道施設が公の営造物に該ることもまた多言を要しないところである。

四  被告らの責任について

以上に判断してきたところから明らかなごとく、本件事故は被告会社の本件自動車の運行と、被告県の道路の管理上の瑕疵と、被告国鉄の鉄道施設の管理に関する瑕疵とが互に競合してその原因をなし惹起されたもので、民法七一九条一項前段の共同不法行為に該当するものと解するのが相当であり、そうすると被告会社は自動車損害賠償保償法三条により、被告県および被告国鉄はいずれも国家賠償法二条一項により、それぞれ本件事故によって生じた損害を賠償すべき義務があるところ、被告らは連帯して右賠償義務を負わねばならないものというべきである。

第三原告らの損害について

一  松鶴ケサツイの損害および相続関係

1  ケサツイが本件事故により別紙第二目録記載の傷害を受けたことは先に認定したとおりであり、《証拠省略》によると、ケサツイは受傷後直ちに今給黎病院に運ばれたが、症状が重篤であったため事故当日鹿児島市立病院に移され、同病院に約七ヵ月間入院し、当初の六ヵ月間は意識不明の状態が続き、退院後も鵜木医院にて治療を受けているが、左半身麻痺、言語障害、片眼失明の後遺症があり、家族等の介助がなければ日常の起居動作も全く行なえず、食事、排便等も自らは行なえない状態で寝たっきりの生活を余儀なくされていたが、そのような状態が改善されないまま昭和五一年一二月一日死亡した(死亡の点は当事者間に争いがない。)ことが認められる。

2  《証拠省略》を総合すると、ケサツイは右入院治療費として一七六万三、八四〇円を要したことが認められる。

3  《証拠省略》によれば、ケサツイは本件事故当時六三才で、時々血圧が高くなり病院で注射や投薬を受けることもあったが、普段は特に異常はなく、夫松鶴政盛と共に農業を手伝っていたことが認められるところ、本件事故により前記のような傷害を受け、不具廃疾の身となり、死亡するまで五年余にわたり寝たっきりの生活を余儀なくされたものであり、その精神的苦痛は甚大で死にも劣らぬものと思料されるから、右精神的損害に対しては五〇〇万円をもって慰謝されるのが相当と認める。

4  ケサツイが右損害の填補として自賠責保険より四二八万八、四二八円被告国鉄から一万円を受領していることは当事者間に争いがなく、そうするとケサツイの損害は二四六万五、四一二円と認められる。

5  ケサツイは昭和五一年一二月一日死亡し、原告松鶴政盛が三分の一、同松鶴和光、同松鶴光広、同久木田富枝、同松鶴博、同松鶴政司、同松鶴政幸および同松鶴キヌ子が各二一分の二の割合でケサツイの債権債務を相続したことは当事者間に争いがない。従って、原告松鶴政盛は八二万一、八〇四円右原告を除く前記原告らは各二三万四、八〇一円(円以下切捨)宛、ケサツイの前記損害賠償請求権を相続により取得したことが認められる。

二  原告松鶴政盛の損害

1  《証拠省略》によれば、原告松鶴政盛は本件事故当時、田四六〇一平方メートルおよび畑一三九五平方メートルを耕作し、専らその農業収入によって生計をたてていたが、妻であるケサツイが本件事故で受傷し前記のような重篤な症状にあったため、事故後約一年間はつきっきりで看護しなければならず、やむなく農業を放棄し、田三反位は他人に耕作させ反当り籾二俵を受け、時には日雇労働に従事していたことが認められる。右事実によれば、原告松鶴政盛が本件事故による妻の受傷により、農業による収入を得られなくなったことは明らかであるが、その損害額については何ら立証がないところ、農林省農林経済局統計調査部経済調査課の「農家経済価値統計・農林省統計表」(昭和四三年度)の「地区、経営耕地面積別の一農家あたり収支」によれば全都府県の経営耕地面積〇・五ないし一ヘクタールの農家の年間農業粗収益の平均は七四万三、四〇〇円であり、右資料と原告松鶴政盛が農業を放棄した後、一部を他人に耕作させ、自らは日雇労働に従事することもあったことなどを総合勘案するに、右損害額は五〇万円を下らないものと認めるのが相当である。ところで、右損害はいわゆる間接損害というべきであるが、前記のような事情から考え、右損害は本件事故と相当因果関係があると解され、従って被告らにおいて賠償すべき義務がある。

2  原告松鶴政盛が妻ケサツイの本件事故による前記のような傷害ならびに後遺症により、著るしい精神的打撃を受けたことは容易に推認しうるところであり、前記のように農業経営を放棄せざるを得なかったことや死亡に至るまでの五年余に亘る看護の期間等を斟酌するとき、その精神的苦痛に対しては一〇〇万円をもって慰謝するのが相当と認める。

3  そうすると右原告の固有の損害は一五〇万円となる。

三  原告松鶴キヌ子の損害

1  右原告が本件事故により別紙第二目録記載の傷害を負ったことは先に認定したとおりであり、右原告本人尋問の結果によれば、右原告は右傷害の治療のため約二週間鹿児島市立病院に通院し完治したことが認められるところ、右傷害の程度等を勘案して、右受傷による精神的苦痛に対する慰謝料は五万円が相当である。

2  《証拠省略》によれば、右原告はケサツイの子であり、七人兄弟の末子で本件事故当時二一才の独身で父母と同居していたところ、本件事故により母であるケサツイが前記のような傷害を受け、その後も後遺症のためつきっきりの看護を要する状態にあったため、主として右原告が同人の看護にあたり、同人が死亡するまでの五年余の間、就職することはもとより旅行などで家をあけることもできず、結婚すらも困難な状況にあったことが認められ、このような諸事情を考慮するに、右原告が母ケサツイの本件事故による傷害ならびに後遺症により受けた精神的苦痛は極めて大きかったものと推測され、このような精神的損害に対しては一〇〇万円をもってこれを慰謝すべきものと認める。

3  右原告が以上の損害に対し、被告国鉄より三、〇〇〇円の填補を受けたことは、当事者間に争いがない。

4  そうすると、右原告の固有の損害は、填補額を控除し一〇四万七、〇〇〇円となる。

四  原告松鶴和光の損害

《証拠省略》によれば、原告松鶴和光はケサツイの長男であり、本件事故当時鹿児島市に居住し、ケサツイの入院中、時には夜間の付添をしたり、生活費を仕送りしていたことが認められ、母ケサツイの受傷や後遺症により多大の苦痛を味わったことは想像に難くなく、その精神的損害に対する慰謝料は、前記の諸事情も考慮し、五〇万円をもって相当と認める。

五  原告山下巌の損害

1  《証拠省略》によれば、右原告は、本件事件による傷害の治療のため、昭和四五年一一月二四日から同年一二月二七日まで三四日間八反丸病院に入院し、同四六年一月一二日から同年二月一八日まで吉松外科病院に通院したこと、右原告は本件事故当時丸善海運に甲板手として勤務しており、昭和四五年五月から同年八月までの平均給与は九万一、八〇六円(円以下切捨)であったこと、前記入通院のため二ヵ月間休業したことが認められる。そうすると、右原告は休業により一八万三、六一二円の損害を受けたことが認められる。

2  《証拠省略》によれば、右原告は前記傷害により左前額部に傷痕が残り、これにより後遺障害一四級の認定を受けたことが認められ、前記傷害ならびに後遺症の程度等に鑑み、右原告が相当の精神的苦痛を受けたことは明らかであり、その精神的損害に対しては三〇万円をもって慰謝するのが相当と認められる。

3  右原告が以上の損害に対し、被告国鉄より一万円、自賠責保険より四一万七、五二九円の給付を受け填補されたことは当事者間に争いがない。

4  そうすると、右原告の損害は、右填補額を控除し五万六、〇八三円となる。

六  原告海田幸子の損害

1  右原告が本件事故により傷害を受けたことは先に認定したとおりであるところ、右原告本人尋問の結果によれば、右原告は前記傷害の治療のため今給黎病院と都城の厚生病院で各一日治療を受け、一週間分程の投薬を受け全治したことが認められ、右傷害による慰謝料は一万円をもって相当と認める。

2  右原告が、前記損害に対し被告国鉄より三、〇〇〇円の支給を受け、その限度で損害の填補を受けたことは当事者間に争いがない。

3  そうすると、右原告の損害額は、右填補額を控除し七、〇〇〇円となる。

七  原告中山陽子の損害

1  右原告は本件事故により前記傷害を受けたものであるところ、《証拠省略》によれば、右原告は前記傷害の治療のため昭和四五年一一月二四日から同四六年五月二九日まで柳田外科医院に通院し、その後下肢に神経症状が残りその後遺症の治療のため同年六月一日から同四七年九月一四日まで同病院に通院(傷害および後遺症による通院実日数は一九〇日)したこと、右原告は本件事故当時、夫の経営する理容店の手伝いをしていたが、右通院のため約三ヵ月間その手伝いができなかったことが認められる。

2  右原告は、自己が手伝えなかった期間中五〇日間、日当一、〇〇〇円で職人を雇ったと主張するが、右原告本人尋問の結果によれば、右期間中特に職人や手伝いを雇ったようなことはなく、以前からいた職人と夫が右原告の手伝えなかった分を補なっていたことが認められ、右主張は理由がないというべきであるけれども、右期間中、右原告が稼働しえなかったことは明らかであり、そのことによって財産上の損害を受けたと解すべきであり、その損害額が一日一、〇〇〇円を下らないことは労働省労働統計調査部の賃金センサスによっても明らかであり、そうすると右原告は本件事故によって稼働しえなかったことにより五万円の損害を受けたことが認められる。

3  右原告は前記傷害の症状固定後も下肢に神経症状が残り、その程度は自賠法施行令二条の後遺障害の等級表の一四級に該当すると認められ、右後遺症による労働能力の喪失率は労働省労働基準局長の通牒により一〇〇分の五、後遺症の存続期間は前記治療期間に照らし事故後三年間と認めるのが相当であり、右稼働能力の喪失による損害は、ホフマン式計算法(月別)により民事法定利率である年五分の割合により中間利息を差引いて本件事故時の原価に換算すると、三万九、三六二円(円以下切捨)となる。

1,000(1日の収入)×25(1ヵ月稼働日数)×(33.4777-1.9875)(36ヵ月の月別ホフマン係数)×5/100(休業損分2ヵ月の同係数)≒39,362(喪失率)

4  右原告の前記傷害ならびに後遺症による精神的苦痛に対しては、その治療期間、通院実日数等に照らし、四〇万円をもって慰謝するのが相当である。

5  右原告が以上の損害に対し、被告国鉄より三、〇〇〇円、自賠責保険より四〇万四、九〇〇円の各填補を受けたことは、当事者間に争いがない。

6  そうすると、右原告の損害額は、右填補額を控除し八万一、四六二円となる。

八  原告中山なぎさの損害

1  右原告は本件事故により前記認定の傷害を受けたものであるが、《証拠省略》によれば、右原告は前記傷害により昭和四五年一一月二四日から同四六年一月二日まで柳田外科医院に通院したことが認められ、右通院期間等を斟酌し、前記傷害による精神的苦痛に対する損害については、七万円をもって慰謝するのが相当と認める。

2  右原告が以上の損害に対し、被告国鉄より三、〇〇〇円、自賠責保険より五万八、九二〇円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。

3  そうすると、右原告の損害額は、右填補額を控除し八、〇八〇円となる。

九  原告中山陽治郎の損害

1  右原告は本件事故により前記傷害を受けたものであるところ、《証拠省略》によれば、右原告は前記傷害の治療のため昭和四五年一一月二四日から同年一二月三一日まで柳田外科医院に通院したことが認められ、右通院期間に照らし、右原告が前記傷害により受けた精神的損害は七万円をもって慰謝されるのが相当と認める。

2  右原告がその損害に対し、被告国鉄より三、〇〇〇円、自賠責保険より五万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。

3  そうすると、右原告の損害額は、右填補額を控除し一万七、〇〇〇円となる。

一〇  原告石原正雄の損害

1  右原告は本件事故により前記傷害を受けたものであるが、《証拠省略》によれば、右原告は前記傷害の治療のため、城南病院に昭和四五年一一月二五日から同年一二月一三日まで通院し、同年一二月一四日から同四六年二月一五日(六四日間)まで入院し、同月一六日から同年六月二一日まで再び通院(通院期間合計一四五日、内治療実日数四四日)したこと、右原告は本件事故当時妻と共に養豚業を営んでいたが、右入通院のため仕事ができず、やむなく事故後六ヵ月間は人を一人雇って事業を継続し、おおむね従前の収入を維持しえたこと、その雇人に月八万円支払ったことが認められる。

2  右事実によれば、右原告は本件事故のため六ヵ月間、毎月八万円の合計四八万円の支出を余儀なくされたものであり、同額の損害を受けたと認められる。ところで、右原告は二ヵ月間の休業による損害として三〇万円、後遺症による逸失利益の損害として七一万四、六〇〇円の請求をしているのであるが、前記事実によれば右原告が稼働しえなかったことは認められるけれども、そのことによって全収入が得られなかったものとは認められず、また後遺症についても右原告は本人尋問において昭和五〇年ころから再発したと述べているが、前記傷害による後遺症と認めるには不十分であり、他にこれを認めるに足る証拠もないところ、右原告は本訴において財産上の損害として一〇一万四、六〇〇円の支払いを求めているものであるから、その範囲内において前記認定の四八万円の損害を認容することは許されるものと解する。

3  右原告が前記傷害により相当の精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推測しうるところ、前記の入通院期間等を考慮し、その慰謝料は三〇万円が相当と認める。

4  右原告が以上の損害に対し、被告国鉄より五、〇〇〇円、自賠責保険より一八万五、六〇〇円の填補を受けたことは当事者間に争いがない。

5  そうすると、右原告の損害額は、右填補額を控除し五八万九、四〇〇円となる。

一一  訴外北里留一の損害および相続関係

1  留一は、本件事故により前記傷害を受け即死したものであるが、《証拠省略》によれば、留一は本件事故当時三九才で、特に身体に異常もなく健康体であり、山形屋百貨店宮崎支店に勤務し、販売課長の職にあり、事故前三ヵ月間の平均給与は九万〇、四三三円(円以下切捨)であり、昭和四四年一二月一二万三、八〇〇円、同四五年五月一〇万〇、二〇〇円、同年七月一三万〇、〇六五円の各賞与を支給されていたこと、留一の家族は妻原告北里幸代、長女原告北里美幸(当時九才)、長男原告北里敦弘(当時七才)の三人で、留一が一家の主柱であったことが認められる。

2  右事実からすれば、留一は年間一四三万九、二五六円の収入があり、家族数より考え同人の生活費は三分の一とするのが相当で、右生活費を控除すると留一の年間純収益は九五万九、五〇四円となるところ、留一の死亡時の年令よりして少なくとも一五年間は稼働しえたと解されるから、その間に得られたはずの総利益からホフマン式計算法(年別)により民事法定利率である年五分の割合により中間利息を差引いて、本件事故時の原価に換算すると一、〇五三万六、一二一円となるところ、留一の家族である前記原告らの請求は九四七万七、一五五円であるから、留一の死亡による逸失利益の損害は右請求の限度でこれを認めることとする。

3  前記認定の諸事情を斟酌し、留一の死亡による慰謝料は五〇〇万円をもって相当と認める。

4  原告北里幸代、同北里美幸、同北里敦弘が留一の死亡によりその債権債務を各三分の一宛相続したことは当事者間に争いがなく、そうすると右原告らは各自四八二万五、七一八円(円以下切捨)宛、留一の前記損害賠償請求権を取得したことが認められる。

5  ところで留一の損害に対する填補として自賠責保険より右原告らに五〇〇万円が支払われたことは当事者間に争いがないから、右原告らの相続した前記損害賠償請求権に対し、各相続分に応じて原告北里幸代につき一六六万六、六六六円(円以下切捨)、同北里美幸、同北里敦弘につき各一六六万六、六六七円(円以下切上げ)がそれぞれ充当されたこととなる(《証拠省略》によれば右保険金は昭和四六年三月一七日支払われたことが認められる。)。

6  原告北里幸代が労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)により遺族補償年金を受給していること、昭和四八年三月から同五一年一二月までの受給総額は三〇八万〇、六四九円であることは当事者間に争いがない。

ところで被告らは、右年金は留一の逸失利益を補填する性質を有しているから、留一の相続人である前記原告ら三名が相続した留一の逸失利益から右年金額の各三分の一宛を控除すべきであると主張する。労災保険法の保険給付は、労働基準法の災害補償にかわるものであり、この災害補償が労働災害による労働者の財産上の損失の填補の性質を有するものと解すべきことは被告らの主張するとおりであるが、災害補償は労働者の生存権確保のために認められた使用者の法定責任であり、不法行為責任とは異質のものであるから、損害賠償の前払いないしは内払いとして考えるべきものではなく、ただ災害補償の受給権者はその給付を受けた限度で不法行為による損害賠償請求権を失ない、災害が第三者の不法行為による場合は、使用者が右第三者に対し求償権を取得するものと解するのが相当である。そうすると、前記遺族補償年金はその受給者である原告北里幸代の相続した留一の財産的損害のみから控除すべきであり、前記自賠責保険からの填補額(財産的損害と精神的損害に按分して充当)を控除した残りの財産的損害は二〇六万八、〇〇五円(円以下切捨)(9,477,155×1/3-1,666,666×9,477,155/14,477,155=2,068,005)であるから、前記遺族補償年金の受給額は右財産的損害をこえており、結局、留一の財産的損害中原告北里幸代が相続した部分はすべて填補されたこととなり、右原告の相続した損害賠償請求権は慰謝料部分の一六六万六、六六六円(円以下切捨)から自賠責保険による填補額を財産的損害と精神的損害に按分し、精神的損害に対する填補額五七万五、六一九円を控除した一〇九万一、〇四七円(1,666,666-1,666,666×5,000,000/14,477,155=1,091,047)

となる。

なお被告らは原告北里幸代が将来受給すべき遺族補償年金についてもその現価を前記原告らの相続した右訴外人の財産上の損害から控除すべきであると主張するが、労災保険法一二条の四の趣旨に照らし、右主張は理由がない。

7  そうすると、原告北里幸代の相続額は右填補額を控除し一〇九万一、〇四七円となり、原告北里美幸および同北里敦弘の相続額は各三一五万九、〇五一円となる。

一二  原告北里幸代、同北里美幸、同北里敦弘、同北里留および同北里ハツミの各損害

1  前記のように原告北里幸代は留一の妻、同北里美幸はその長女、同北里敦弘はその長男であり、《証拠省略》によれば、原告北里留は留一の父、原告北里ハツミはその母であり、右原告らが留一の死亡により筆舌に尽し難い精神的打撃を受けたであろうことは多言を要しないところであり、その精神的損害に対する慰謝料は本件弁論に顕れた諸々の事情を斟酌し、原告北里幸代に対し二〇〇万円、同北里美幸および同北里敦弘に対し各一〇〇万円、同北里留および同北里ハツミに対し各五〇万円をもって相当と判断する。

2  原告北里幸代が右損害に対し、被告国鉄より三万円の填補を受けたことは当事者間に争いがない。

3  そうすると、右原告北里幸代の固有の損害は右填補額を控除し一九七万円となり、原告北里美幸および同北里敦弘の固有の損害は各一〇〇万円、同北里留および同北里ハツミの固有の損害は各五〇万円となる。

一三  以上に認定した原告らの損害額は別紙第三目録のとおりである。

第四結論

以上に判断してきたところによれば、被告らは連帯して、原告松鶴政盛に対し二三二万一、八〇四円、同松鶴和光に対し七三万四、八〇一円、同松鶴光広、同久木田富枝、同松鶴博、同松鶴政司および同松鶴政幸に対し各二三万四、八〇一円、同松鶴キヌ子に対し一二八万一、八〇一円、同山下巌に対し五万六、〇八三円、同海田幸子に対し七、〇〇〇円、同中山陽子に対し八万一、四六二円、同中山なぎさに対し八、〇八〇円、同中山陽治郎に対し一万七、〇〇〇円、同石原正雄に対し五八万九、四〇〇円、同北里幸代に対し三〇六万一、〇四七円、同北里美幸および同北里敦弘に対し各四一五万九、〇五一円、同北里留および同北里ハツミに対し各五〇万円および右各金員に対する本件事故の発生した日である昭和四五年一一月二四日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの本訴請求は右各金員の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容することとし、これをこえる請求は損害が認められないので、原告らの被告国鉄に対する前記認定以外の責任原因についてはこれを判断するまでもなく、原告らのその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西浅雄 裁判官井垣敏生は転補のため、同成毛憲男は退官のためいずれも署名押印できない。裁判長裁判官 大西浅雄)

〈以下省略〉

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